今朝、ブログをチェックしたら、拍手数が…30?…普段なら5拍手くらいなのに…
http://guitar.livedoor.biz/archives/51649085.html
これは重奏コンクールの私の感想に対してのものか?…それともアコラさんの記事に対してのものなのか…よく分かりませんが、拍手をいただけることは(実際の演奏会でも同じですが)嬉しいものです。なんとなくこのシステムの意味が分かったような気がします。とりあえず、みな反応してくれているのですから。
さて、話は変わって・・・
昨日もこのブログにコメントがあったのですが、先日行った6月1日のひたちなか市でのコンサート&レクチャーの模様がアコラさんのホームページにアップされました。
このなかに、もちろん、私の写真やレクチャー内容が記載されています。
お客さんのコメントで、ちょっと感動したのがあるので、転載させていただきます。
・「プラテーロと私」の「散歩」、聴いていて涙があふれてきて止まりませんでした。 哀しい中に楽しかった思い出があふれ出て、また、楽しい中に通奏低音のように哀しみが潜んでいるような曲でしたね。 私なりの形でしか出来ませんが、是非弾いてみたいです。
一旦曲を弾いてしまえば、音は私個人から離れていきます。そして聴き手の中でさまざまな感情を生むのですね。これはやはり楽曲の力です。私の中には私の「散歩」という曲のイメージがあります。それを聴き手に強制できるわけでもありません。それでいいんです。ほんとうに。
こういう感想を頂くと、実に嬉しいです。
とりあえず、エドゥアルド・サインス・デ・ラ・マーサの「プラテーロと私」の一曲が、ちょっとずつでもしっかりとした評価を得て、弾く人が増えるのを望むからです。
名曲にはパワーがあります。パワーがあるものが「名曲」といいます。皆が知っているから…皆が弾いているから…という理由でだけで「名曲」と呼ばれるのではありません。そのパワーをしっかりと理解した人だけが、その曲を「名曲」にできるのです。
禁じられた遊びにしても、アランブラにしても・・・うまく説明できませんが、名曲っていうのはそういう部分があります。だから、難しいんですね。こういう「誰もが知っている曲」を弾くのは。
人前で弾いてみて初めて、「え?この曲、そんなにいい曲だったっけ?」と驚くことがあります。この前の演奏会で「ハバネラ」がそうでした。これは頭のなかに理解している「名曲」というのとはちょっと違いますね。だから、やっぱり人前で演奏して、お客さんの反応をフィードバックしていくことが必要ですね。直接的な感想などは頂かなくても、その場の雰囲気とか…直感で…「名曲」を現場で探していく作業はやっぱり大切だと思っています。
しかし、それにしても、お客さんの反応には教えられることが多いです。
上に引用したような感想を聴くと、なんだか、それだけで一生分の課題を与えられているような…
日々精進!!