先日のリズム講座で若干分かりにくかった部分を補足しておきます。

というよりは、私の意見は述べません。参考になるべき著書からの引用をいくつか紹介していくつもりです。

参考書は以下です。

名曲に何を聴くか―音楽理解のための分析的アプローチ 新音楽鑑賞法
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田村和紀夫氏はこの本の33ページ「水面下の流れとしての拍子」という項でバドゥラ=スコダの一文を引用している。

…旋律を川にかけられた橋にたとえることもできるでしょう。

小節線は橋柱のようなものです。これらはたしかに橋を、つまり旋律を支えてはいますが、橋の上にいては気づかないものです。この小節線をいつでも強調する人がいるとしたら、その人の演奏は、各橋柱が橋の上の往来のところで突き出ているような構造にたとえられるでしょう。そんな出来の悪い橋の上で、私は自動車を走らせたくありません!

そして、この文章を引用した上で著者田村氏は『小節線があるからといって、すべの強拍にアクセントを込めるべきだ、というものではない、ということである。』の結論を述べている。

そして、以下のように自論を展開。

ぴったりと拍子に合った音楽もあれば、合わないもの、曖昧なもの、ずれたものなど、音楽には拍節とのさまざまな関係が可能なのである。もしすべての音楽が拍子どおりだとしたら、そうした関係性そのものが解消されてしまう。そして、すべてダンス音楽か行進曲になってしまうだろう。

しかし、拍子からずれた音楽があるとしても、「ずれた」感じが生じるのは、やはり拍子が根源的に存在しているからである。

そして、この章はベートーヴェンの弦楽四重奏「セリオーソ」の“聴くだけではアウフタクトに聴こえる3拍子”の曲を例に出している。是非、ここからは拍節と表現の関連性に興味のある人は熟読して欲しい。

そして、できれば、この部分の解釈をいくつかの音源で聞き比べて欲しい。そして、その表現(アゴーギグやデュナーミク)がどのようになされているか研究して欲しい。

おそらく古典期における“一拍目”の存在感の表現法をしっかりと確認して、各自研究しておくと良いでしょう。

ということで、補足第1回はこれにて終了。

 

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