最近、自分の演奏活動についてしか書いていなかったので、レッスン覚書をたまに書きます。

思いついたままに書きますが、お付き合いくださいまし!

正義。このコトバについていろいろと考えます。ギターの奏法なり表現法なり、教える方法論はたくさんあります。表面上はいろいろな点において教授者によってバリエーションがでてくるものです。

それに関して、「あの方法は違う!」という人が出てきます。自分にとっては「正しい」ことでも、他の人から見ると「違う」ということもあるということですね。

教える側は各自の「正義」を貫きとおさねばなりません。そのことが、とても大切だと思います。そういう意味で教授活動をする人は「政治家」のようなものであると思います。

しかし、前提として「生徒にうまくなってもらいたい」「音楽についてより深く知ってもらいたい」という気持ちがあることが前提です。政治家が「どんな人でも幸せになれるように」という理想を掲げるのと一緒ですね。

衒学的教授法。「誰にだった分かるレッスンなんて本当のレッスンではない!」ということをいう人がいます。例えば初心者を教える際に、その初心者がその場で「なるほど!」と思うレッスンは、本当の教えではないと・・・。

「誰にでも分かる=その程度のレッスンしかしていない」というふうに考える「衒学的な」教授者がいるんです。いまでもね。

確かにプロになる人の知識と経験は膨大です。それがなければ、教えることは不可能ですから。

でも、私はその知識の基準にたって、その知識自体が「自慢」となったり、「生徒の質が低い」というふうに決め付けるのはおかしいと思っています。それは教授者の慢心というものです。

習いに来る人はそれぞれの「知識量」「経験量」があるわけですから、すこしずつ、その人たちのレベルを見極めながら、ひきあげていくしかないわけです。

耳との勝負。どんな場合でも、最終判断は耳です。音楽ですから。

よい音楽でなければ、意味がありません。それは初心者レベルから徹底的に意識すべきポイントです。良い音を出すこと、良い音楽をすること・・・この判断をするのは耳です。そして、それを「良いか悪いか」と判断する脳みそが必要です。

その脳みその「善悪基準」は経験で洗練されていきます。良い音楽を聴き、良い音を聴くこと!・・・数多くの経験があって、耳で聞いたものを「いいかわるいか」判断できるようになるのです。

だから、ギターを始めて間もない人は、虚心で経験を積んでいくしかありません。中途半端な「自分の基準」を頼りにしないこと!人の話を鵜呑みにしないこと!


・・・という感じです。

ひさびさにレッスン覚書を書きました。

これからもたまにアップします。きまぐれで・・・。


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