(注)下記まとめは2011年末に書かれたものです。時差ぼけアップです。文章内容は2011年末の気分でお読みください!
まとめ執筆編曲録音などについて書きます。
まずは執筆活動について。
ずーっと続けている執筆活動ですが、現代ギター誌での連載をメインに行いました。
主にギタリストのバイオグラフィーについてのものがメインでした。特に「巨匠の時代」については印象に残っています。レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサについての伝記連載もしましたが、そのルーツをたどるとギター史の面白さを感じます。いままでホセ・ルイス・ゴンサレス、ナルシソ・イエペスについて書いてきましたが、それぞれのギター史への関わり、音楽美学への関わりを見て行くと、多くのことが分かります。単純にいうと「ギターの進化はたったひとりが成し遂げたことではないこと」がはっきりと分かってくるのです。
タレガだけでクラシックギターの奏法と審美観が確立されたわけではありません。その後、リョベートやセゴビア、そして多くのギタリストの発想やその時代ごとの美学への興味でクラシックギターは今まで続いてきていることが分かります。
私はそのひとつひとつについて学びたいと常に思っています。そうすると謙虚でいられます。何か派閥的な「なになに奏法」や「なになに派」といったものに縛られないですみます。しかし、各ギタリストが「なにをしたのか?」「どう考えたのか?」という点についてしっかりと確認をすることは実に大切なことです。ひとりだけで完璧に何を仕上げることは不可能です。クラシックギター奏法というのは共同作業で仕上げられるものですし、世代を経て洗練されていくものです。
そのことがギタリストのバイオグラフィーについて調べていくと理解できます。今後もこの作業を継続して行っていきます。
編曲について。
編曲作業は定期的にお仕事を頂いています。おもにギターソロ編曲へのお仕事です。いままでヤマハやシンコーミュージックなどの仕事をたくさんしてきました。作業をしながら他の人のアレンジ法などをリサーチすることも多かったですね。調べれば調べるほど、クラシックギターをしっかりと勉強したひとの「編曲感覚」は違うことも分かってきました。アコースティックあがりのひとのアレンジはまだまだ二声(もしくはメロディーとコード)のアレンジに留まっていることが多いです。言ってみると「縦でしか見ていない」わけです。メロディーにしかるべきハーモニーをつければおしまい…というレベルが多い。
クラシックギター界ではもっと横のつながりを重視します。その意味で三声レベルでの編曲は当たり前と言っていいでしょう。これをしっかりと演奏レベルにまで昇華するためにはしっかりと技術が必要です。クラシックギターをしっかりと勉強したひとにとっては一般にちまたに溢れている「ソロギターアレンジ」は「片手落ち」「やっつけ仕事」に映るでしょう。
たしかに「とっつきやすさ」は音楽する間口を広げます。しかし、弾きやすさと取っ付きやすさのレベルに拘泥していると、音楽の深み、本当の面白さは見つけることが不可能でしょう。
そんなことをアレンジしながら考えた一年でもありました。
録音について。
様々なミュージシャンの方から「クラシックギターの音」が欲しい…「富川さんと何かを作ってみたい」ということでお誘いを受けることが多くなってきました。一般にいうポピュラー音楽のサイドからのオファーですね。そういうのが増えた。もちろん全てのお仕事を引き受けるわけには時間的にも音楽面の消化度を考えても可能ではありませんが、すこしずつでもコラボレーションしていければ楽しいなあ!と考えています。
実はクラシックギターという楽器にこだわりがあるという面がありますが、音楽のジャンルに関しては垣根はないと思っています。もちろんクラシックギターというジャンルの可能性や強さ(魅力)についてはしっかりと把握しているとは思います。そしてそれらを把握した上であれば、どのようなジャンルの方ともコラボレーションできると思っているわけです。
記録に残すこと。執筆であろうが、編曲出版であろうが、録音であろうが、それら全ては僕の中でつながっています。そしてそれらのことを「記録」に残すことはとても大切です。その作業自体の中で考えることはとても多く、その結果を公にすること、形として残すことは「思考の結果物」ですから。そして、その思考の過程は私の音楽家としての「財産」です。そして、その財産をこのようにブログという形で残したり、生徒とのレッスンにおいてお話したりします。
仕事の断片が多くの思考の結実を表すことがあります。そして多くの思考の結果が仕事の断片であったりします。そう考えると面白いものですね。
富川勝智
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