逃げ回ってきたものに立ち向かう。なーんかそんな年齢になってきた。
というよりは、かつて「勢いで勉強したもの」に意味を感じられるようになってきたのかもしれないなあ。

ということで、最近はレヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ編の「アグアド教本」をツブツブと再勉強中。

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レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサは一応僕のおじいさん師匠にあたる。なので、やっぱり若い頃は「やらねばー」と勢いでさらったものだ。なので、適当w

今、見返してみると、いつも教室で使っている「教室用新ギター教本」(ギタルラ社)との共通点に気づく。新ギター教本の編者である小原安正先生もこのレヒーノ教本にインスパイアされて編んでいるのは明らか。

新ギター教本は俗称「青本」なんて言われているけれど、そのあたりも似ている。レヒーノ=アグアド教本も昔から真っ青である。

とは言え、青本の方が圧倒的に初心者から中級者まで取り組みやすいように教材が練られている。なので、レッスンで使いやすい。だから、僕も使っている。

さてさて…そんな感じでちょっとずつあれこれ考えながら勉強していると、巻末にあるアグアドの名曲の「ロンド・イ短調」の運指にクラクラきてしまった。

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え??それ弾きにくくない?・・・だけど、弾いてみると音楽的に美しいのだ。昔、原典版はこうだからなー!とか、こっちの方が弾きやすいや!とか若気のいたりで直して弾いていたところも、今レヒーノ先生の運指通りにやってみることにしている。そして、おお!これは?こういう意味なのか!なんて類推して楽しんでいる。

楽しんで、そして、勉強になっている。

運指にはギタリストの「音楽観」が出る。

だから、セゴビア編の「ソル20のエチュード」はセゴビアの音楽観を学ぶためのエチュードでもある。そして、セゴビアの選曲は本当に素晴らしい。一曲もハズレがない。

カルカッシ25のエチュードはその意味ではリョベートの運指でやらないとあんまり意味がないかもしれない。日本人は幸いにも全音版が「リョベートそのままの運指」なので、ラッキー。カルカッシ25のエチュードは原典版でやる意味はあんまりないと僕は思っている。

カルカッシ25のエチュードも一曲もハズレがない。全て美しい曲ばかりだ。

セゴビア編のソル20のエチュードもカルカッシ25のエチュードも抜粋でやればいいよ・・・という考えも最近はあるみたいだけど、時間がかかっても全部やってみるといいと僕は思っている。

もちろんエチュードなので、テクニック面や音楽面で一曲ずつ目的がある。目的にあったエチュードだけやっても効果的。だけど、全部やってみると、セゴビアやリョベートの運指にこもっている「音楽観」が見えてくる。そして、彼らがソルやカルカッシの作品をどのように音楽的に昇華させて行ったかがわかる。

というスタンスで、今僕はレヒーノ先生が書いた「アグアド教本」を再履修しているところ。そして、アグアド教本にある楽曲の新たな美しさに気づいている。