ギターレッスンと演奏の日記 from 富川ギター教室

クラシックギターの「伝道師」富川勝智のギター教室でのレッスン活動と演奏活動の記録です。

師匠

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「その運指、画期的だなあ」(「ことば」について)

レッスンの場で、「言葉」について、たまに考えることがあります。

先日もレッスン終了後、高校生の生徒と「ことば」について雑談しました。

その子とのレッスンで「ノスタルジック」という言葉を使用したのですが、いまいちそのニュアンスが掴めない…ということでした。

私なりに一生懸命説明はしましたが、やはり本人が「掴み取る」ことが一番大切ですね。辞書をひくことは勿論大切ですが、やはり現場で(現実の生活で)その言葉のニュアンス、意味を感じとっていくことが大切です。

彼の中で、ノスタルジックという言葉のイメージは、今後の経験で着実に具体的にはなっていくと思います。

もちろん、言葉のニュアンスは、現実生活だけでなくても掴んでいくことは可能です。

小説を読むこと、絵を見ること、音楽を聴くこと…そういうセンサーを働かせていれば、漫画を読んでいたって、テレビを見ていたって、言葉の定義はより具体的に、そして複合的なものになっていくでしょう。

 

そして、忘れてはならないのは、高校生であれば、普段の付き合いは高校生の友人に(ほぼ)限定されてしまうわけです。そのなかでの「ボキャブラリー」で済んでしまうのですね。

それはおそらく、幼児〜小中高〜大学まで、ほとんどの子は、同年代の子と普段付き合うわけですね。そして、ボキャブラリーもその世界で用いられるものに限定されるわけです。

 

で、思い出したのは私の経験です。今まで私が習ってきたギターの師匠達の「ボキャブラリー」です。

彼らは彼らなりの「ボキャブラリー」があって、そのなかには私のボキャブラリーになっていったものが多くあるということです。

最初のギターの先生である佐藤佳樹先生にはレッスン中に以下の言葉をよく言われました。

「その運指、画期的だなあ!」

…そして、先生は私の用いている運指を試して、「これは他の指を使ったほうがいいんじゃない?そのほうが楽だよ」とか言うのでした。

たまには「採用」となる運指もありました。だから「画期的」だったのかな?…今考えてもよく分かりません。

とりあえず、「画期的」のニュアンスはなんとなく分かってきたのですね。

 

つまり、私がいいたいことは、若い人は、大人の先生と付き合ったほうがいいということです。音楽でも、美術でも、文学でも、どの世界でも…自分よりも豊かなボキャブラリーを有している人と付き合うことによって、出会える言葉の数は増えていきます。

そういう自分より年長の人の言葉を受け取る機会が少なかった人は、おそらく同世代のボキャブラリーだけで人生の大切な一時期を過ごしてしまいます。

小学生〜大学生までの間は、上記のように同年代での交友関係に限定されます。いいことも悪いことも「それ、やばいっす!」という言葉だけで暮らしていては、ボキャブラリーは増えません。

そういう意味で、私の立場から考えると、小学生〜大学生くらいまでの生徒を教えるときには、あまり生徒のボキャブラリーの次元に降りるのはよくない、ということになります。こちらのボキャブラリーをできるだけ「そのまま」使うこと…このことが大切なのだなあ、と思います。

もちろん、生徒が分からなかったときには、それを噛み砕いて私なりに定義しなおすことはあります。それが「大人の義務」です。

 

できれば、小中高、および大学生のお子さんをもっている親の立場の方もそのことを理解することがとても大切です。その場限りの技術を与えるのが「レッスン」ではないということです。

私としては、若い生徒達に、そういうレッスンの場を提供していければいいなあ、と思うわけです。

発表会の場とかで、大学生とかが年長の生徒さんとお話しているのを見ると、「ああ、いいなあ」と思うのも、そういう理由があるのかもしれません。

 

はっきりいうと、大学生くらいになっても、「子どもの世界」に閉じこもっている若い子が多いです。ギターが好きならば、プロのギタリストと付き合う(習いにいく)…という「当たり前のこと」ができない人が多いです。

危険です。

だれがなんといおうが、危険です。

長くなりそうなので、このへんで止めます。

 

 

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「継承」するということ

なんだか、固いタイトルですね…。

「継承する」ということ。

最近、レッスンなどで「大切だなあ」と思うことなのです。例えば、今自分が「自分のもの」として教えていることも、ほとんど全部が先輩ギタリストや巨匠たち、そして偉大な音楽家たちが与えてくれたものなのではないか?…ということです。

あたりまえっていえば当たり前なのですが…。

で、何を私が継承しているか…と自問してみるとします。そうするとたくさんのものが浮かびますが…。

直接なもの、もっともダイレクトなものとして「師匠からの教え」があります。直接レッスンなどで学んだものですね。

たまにこのブログでもネタにしますが、やはり私の中に今まで学んだ師匠達のアイデアが多数存在します。

“マエストロ”ホセ・ルイスや井上幸治さん…そしてアレックス・ガロベー…

私自身が自分の生徒とのレッスン時に言っていることの中に「師匠が自分に言った言葉」が生きているわけです。

そこにはレギュラーで師事していた先生だけの言葉だけではなく、マスタークラスなどで受講した先生たちの言葉もあるわけです。

そして、私が習った先生たちの言葉のなかに、さらにその先生たちの師匠達の言葉が確実に存在する…つまり、今の私の中には先達たちの言葉がたくさん蠢いているわけですね。

ホセ・ルイス先生でいえば、「セゴビアの教え」とか…。井上さんも、レッスン時に『そこはホセ・ルイスみたいにやっちゃえば?』とかよく言っていました。アレックス先生はそういう「誰それみたいに・・・」という言葉使いは全くしませんでしたが、おそらく彼の中にもホセ・トマスを始めとする彼の先生からの教えが生きているはずなのです(とはいっても、彼の親友で素晴らしいギタリストであるマルコ・ソシアスなどを例に出して「あ、これはマルコが言っていたことだけどね…」という感じでちらっとは言っていました)。

そう考えると、今私が教えていることのほとんど全てが「先達の教え」であるともいえるわけです。

そして、レッスンのときにその「先達の教え」の“パワー”を借りることも(たまに)あるのです。例えば、『そこはホセ・ルイスだったら、こうやるよ』とか、『だってセゴビアがそう弾いているじゃん!』とか…。

もちろん、それだけだとなんだか「誰それ派」とか「〜流」のようで、嫌味になる可能性もあるのですが…レッスンをしていて、どうしてもそれしか思いつかないこともあるのです。そういうときは、もうそれで貫きとおすしかありませんね(苦笑)。

だってセゴビアがそう弾いているじゃん!…そう言われて、文句をいえる生徒はいませんから…。

去年、九州のギタリスト池田慎司君に会ったときも、似たような話題になりました。彼があるフルート奏者の教えを受けたとき、普段は冷静で理知的な分析をしてくれるその先生が、ある部分の表現に触れたとき「モイーズがそうやっているから…」という言葉を使ったということです。

理屈では分からないんだけど、その言葉には抵抗しようがない“力”があったようです。

モイーズに関して言えば、フルート奏者の山下兼司氏と出会った頃、ラヴェルの「ハバネラ形式の小品」のリズム感について煮詰まったとき、リハーサル時に「まあ、これでも聴いてみたらいいよ」と言われて、モイーズの演奏を聴かされた記憶があります(勿論これは伴奏部分を参考にせよ…ということだったかもしれませんが)。

なんとなくなのですが、この録音を聴くことによって、ラヴェルの“匂い”というか、“雰囲気”が分かったような気がして、その後すんなり弾けました。

…そう考えてみると、共演する人から学ぶことの中にも先人の智慧が生きているわけですね。その人が習った先生の影響を知らず知らずのうちに学んでいるわけなのです。

そう考えてみると、今自分が教えているときに使っている論理やアイデア、言葉使いなどは全て、過去からの「借り物」なのです。

つまり、教えを継承しているということなのです。

その「教え」にはダイレクトなものから間接的なものまで、いっぱい詰まっているのでそこが面白いところですし、それが教えている本人の意識の底に沈められていて、臨機応変にでてくる場が「レッスンの場」なのですね。

たまに勘違いをして「自分が言っていることが一番正しい!」というアプローチで教えている先生もいるのかもしれませんが、冷静に考えれば、先生という存在は先人の教えを継承しているだけに過ぎないのです。ですから、ある先生がたった一人で音楽的な技術や表現などについて発想したのだと断言しているのであれば、それは大いなる勘違い…としかいいようがありません。

もし、それが“完全に”自分だけのアイデアで生み出したのだとしたら、その先生は“巨匠”でしかありえないはずです。

ちょっと話が脱線しましたが、教える立場としては、「先人の力を借りている」という謙虚な姿勢が大切なのです。

教えるのが上手い人…というのは、そういう立場を理解している人なのだなあ、と最近思います。そして、そういう人はよく勉強しています。様々な音楽を聴き、たくさん本を読み、いろいろな奏者の意見を聞き、貪欲に自分のなかに取り込もうとします。そしてそれを取り込んで整理整頓していく能力に優れているのです。

ですので、名教授といわれる人の内部にあるものを「プロフィール的な」誰それに師事…という表層だけでは推し量れないということです。

様々な経験を、素直に自分のなかにとりこんで、それを整理する能力…それが教える側に必要な能力です。そして、たまに先人たちの言葉を借りること…これが意外に大切なことなのかもしれません。

 

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ギターを弾き続けてきた理由〜師匠&その周辺編

ギターを続けられた理由、師匠編です。その周辺・・・というのは、兄弟子とか姉弟子とかのことです。

まずは、先生について。

留学に行くまでに2名の先生に習いましたが、いい意味で対照的でした。最初の佐藤佳樹先生は、とにかくじっくりと・・・丁寧に・・・というタイプ。大学生から教えていただいた手塚健旨先生はポイントをしっかりと定めて、わりあい早く進むタイプでした。もちろん、それぞれの先生のやり方は生徒さんによって違いはあるでしょう。私にとって手塚先生の教え方は、いままでの丁寧じっくりタイプのレッスンとは違って新鮮でした。「次の曲は自分で探してきてね」というタイプの先生でしたので、自然にCDを聴くようになったり、楽譜を自分で探してきたりする癖がつきました。最初の佐藤先生はレパートリーなどもすべて指定してくれるタイプの先生でしたので、CD集め、楽譜集めの癖をつけてくれたのは手塚先生の御陰なのだと思います。

兄弟子、姉弟子・・・手塚先生のもとには優秀な兄弟子、姉弟子がいましたので、それが随分刺激となりました。コンクールに入賞している人も随分いたので、発表会などで「うわあ、これがギターの音なんだなあ!!」とびっくりしたものです。不思議なことに兄弟子達からは随分可愛がられたもので、一緒にコンサートにいったり、発表会の打ち上げ後朝まで飲んだり・・・と随分世話になりました。そのような会話のなかで学んだことも多かったです。「え、お前この楽譜もってないの?・・・すぐ買わないとなくなるよ!」とか「とにかくセゴビアは全部買っておきな!!」とか「ブリームの来日公演はいくら高くでもいかなきゃ駄目!!」とか、随分厳しく躾けられました。自分がクラシックギターを語る上でしかるべき知識をもっていないことに愕然としました。多くの良い演奏、名曲を知った上で、自分の演奏に生かすことが、当時の自分には足りなかったのでしょうね。

御陰でいろいろな楽譜を入手してクラシックギターの深さを知ったような気がします。CDからも多くの曲を知ることができました。

留学中の師匠は、ホセ・ルイス・ゴンサレス氏、井上幸治氏、アレックス・ガロベー氏です。

ホセ・ルイス・ゴンサレス氏は今になってみると、その凄さが実感できます。彼の音楽観は根底に「美」がやどっています。自分の感情を演奏に直結させること、事前に音のイメージを明確にすること・・・学んだことは多いです。この師匠の凄さは「今になってやっと分かること」をあの時点で必死になって伝えようとしてくれたこと、です。若造に向かって懸命にレッスンしてくれたのは今になってみると貴重な経験でした。彼に習って2年目からはトローバやポンセの作品を中心にレッスンしてもらいましたが、彼の弾くトローバは絶品で、その歌いまわしやニュアンスはまさに「口伝」の領域にはいるものでしょう。しかしそこには実は理知的なもの、論理的なものも含まれていることも、今になって理解できるのです。

井上幸治氏。ホセ・ルイスに習いにいったのですが、ビザのため音楽院に入学する必要がありました。そこでギター科を担当していたのが井上幸治氏です。もともとホセ・ルイスの弟子だったのですが、独立独歩の道を歩んでいました。「ホセ・ルイスのとことは違うレパートリーやろうよ!!」ということで、バッハを中心としたレッスンでした。リュート組曲、ヴァイオリンパルティータ、ソナタなどをやりました。理知的なレッスンで、バッハの面白さを知ったのは彼のレッスンからでした。彼の「十八番」であったタンスマンの「カバティーナ組曲」のレッスンも非常に参考になりました。毎回レッスン終了後、バル(飲み屋)で一杯・・・というのが恒例行事でしたが、毎回ご馳走してもらっていたので、レッスン代から得る収入より上回っていたかもしれません。「いつもご馳走になってばっかりで・・・」というと、「いいよ〜出世払いで・・・日本に君が戻って、僕が演奏会で行ったときにはご馳走になるから〜」と一銭たりとも出させようとしませんでした。私が帰国してすぐに癌でなくなったのは残念でなりません。結局井上さんにご馳走する夢は叶わず。

アレックス・ガロベー氏。初めてコンサートを聴いて衝撃を受けて、是非レッスンを受けてみたい!と思った人物。ワンレッスンを受けにバルセロナまで遠征。このレッスンが今までの音楽観をがらりと変えるものとなりました。最初若干の反抗心はありましたが、考えれば考えるほど「正しい」のですね。音楽を読み取る基本、それを音へと実現するプロセスを理知的に合理的にレッスンしてくれただけなのですが・・・。ちょうど、その頃師匠ホセ・ルイスが他界・・・途方にくれていたのですが、音楽の修行を中途半端で終わらせるのも嫌だったので、ガロベー氏に電話をかけバルセロナに行くことにしたのです。「ルティエール音楽院でレッスンするのはどうだ?」と言ってくれたので、馬鹿正直にバルセロナに行きましたが、後日談だと一回目のレッスンはオーディション的なもので、年間5名以下の生徒しかとらないことが彼の方針だったようです。彼のもとには世界各地から多くの生徒がおしかけてきていて「超人気教師」だったのです。なんとか私は彼のクラスにもぐりこみ、レッスンを受講することができました。彼のレッスンがまた独特なもので、ひとり90分レッスンで、朝から晩までクラス全員出席のもとで公開形式で行われました。ある生徒が一回弾き、それを全生徒が批評&それをもとにアレックスがレッスンを進めていく・・・けっこうな辛口もあって、練習&楽曲分析に身が入りました。しっかり準備していかないと太刀打ちできないので、暗譜は当然のこと、表現についても明確に自分の意見&主張をもつことを余儀なくされました。おかげで音楽スペイン語力(?)もついたような気がします。他の生徒のレッスンのときも、何も意見がないと馬鹿にされるので、前もってレッスン受講曲を聞いておき楽譜を見て研究しておきました。「自分だったら、どう表現するだろう?」と考えながら楽譜をみていたわけです。これがものすごい勉強になりました。このように考えると他人が弾いている曲でも自然に勉強していることになります。この形式のレッスンはある程度レベルのある生徒さんが集まる場合に有益だなあと思います。彼に習った2年弱の間に、ものすごい膨大なレパートリーを自然に学べたのだと思います。またクラス生徒の演奏にも凄い刺激をうけました。

今思い返すと、先生それぞれが個性的だったと思います。なんだか不思議に同じ系統の先生がいないのですが、根本にもっているもの、目指そうとしているものは同じような気がします。なんだか、ぼんやりとはしているのですが、そんな感じなのです。

うーん、言葉ではうまく説明できないなあ・・・。

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