言葉というものは大切です。そして「書かれた言葉」はそれ自体に強いエネルギーがあると思っています。
演奏活動をやっていて、いろいろな人が感想をブログに書いてくれたり、メールをくれたりします。
そのなかで、いろいろなことを演奏者本人が考えることができるのです。
昨日、ライブをやった天真庵の庵主である野村さんがブログに感想を書いてくれている。
http://blog.goo.ne.jp/tenshin-an/e/9a76d76db6009251b665e4e98d2608a8
以下そこから抜粋させていただきます。(この野村さんのブログ、実に含蓄深いです。お勧めです)
昨日富川さんが演奏したギターは、1830年ころにフランス
で作られたもの。桜の木をベースに、ふちどりの文様はくじらのひげなどが使われていて、「おーる天然素材のギター」だ。
クラシックギターの黄金期は1850年くらいらしい。たぶんそのころに油の乗っていたギタリストが、パリの街を闊歩しながら、そのギターを奏でていたのだろう。200年近い歴史の中で、途中ロンドンに渡ったことがあるらしい。
そしてまたいろいろな人に弾かれ、いろいろな人を感動させ、日本にやってきた。
音楽というのは、一瞬で終わってしまうけど、感動とか思い出というのは永遠だ。
そして、僕たちが人生の旅を終えても、まだ楽器たちは、縁が紡がれていき、どこかでまた感動の連鎖の旅をする、というのは素敵なことだ。
一瞬、きらめく刹那、というのは永遠のものだと思う。
リハーサルのときに、この楽器の由来について色々とお話をした。そこから庵主野村さんの想像が広がったのだろう。そして、この文章には野村さんの「常日頃」の考えが散りばめられているように思う。
「素敵なことだ。」で締めくくられている…ここがいいのです。そういう素敵なことと出会うために、野村さんはお店をやっているのだろうし、料理を作っているのだろうし、お酒を振舞っているだろう。そういうことが想像できます。
そういう素敵なことが好きな人が営む場所には素敵な人々が集まるはずです。
そして、この「素敵なこと」に共鳴できない人は、素敵じゃない場所に散っていくのでしょう。
それが「場の論理」というものなのでしょう。お店をどのような「場」にしたいか?…という強い信念を持っているオーナーがいる場所は、やはりある種の「気」を感じるものなのです。それはオーナーが喋る言葉だけでは分からないものです。振舞われる食事やお酒、そして、店の風情、調度品…トータルなものから察知されるものです。
不思議なもので、このトータルな感じが欠けてくると、「場」の雰囲気は悪くなります。「気」が澱んでくるんですね。
オカルトではなく、実際にそれで店の「場の雰囲気」が無くなった例はいくらでもあります。非常に簡単に店の雰囲気は崩壊していくものなのです。大概はそれはオーナーが明確な場のイメージをもっていないことが原因のことが多いのです。
さて、結論。
とにかく、昨日は「素敵な場」でした。
ああ、楽しかった。そして、勉強になりました。