「シルバーウィーク」特別連載企画です。
「教える」ことについて書いてきましたが…とうとうこれで最終回!
さて、最近とくに気になるのですが、情報に惑わされる生徒さんが多いようです。
インターネットではこういっていました…とか、「〜奏法」というのではこうやるそうです…とか、知り合いのギター弾く人がこういってました…とか。
いままでの連載でいってきたとおり、それは「その人自身にのみ有効なテクニック」かもしれません。そういう可能性があることを知っておいてください。
もちろん、そのことを自分で実践し、役にたつと思ったら取り入れればいいわけですが。
まずは、私のところに習いに来るのであれば、こちらの知識量と経験値、その時点での私の奏法理論を信頼してください。現時点で私が「普遍的」とおもうことをレッスンでは伝授しています。
そして、この理論は今後修正、変更される可能性もあることも同時に知っておいたほうがいいです。
最終的に楽器演奏、音楽というのは「独学」であると思っています。各自が多くの知識の中から、それぞれの奏法、音楽観を形成していくしかありません。なので、巷に溢れる情報から勉強していくのも一つの方法であると思います。
ただし、一般の方は、それらの大量の情報に流されてしまう可能性があります。なかには「明らかにそれは違うだろ!」という情報もあります。先生につかない「独学」は非常に危険度が高いのです。
一例をあげましょう。
「Fコードで挫折」という考え。
これはよく見かける「有名フレーズ」です。実際今まで300人近く、生徒をレッスンしてきましたが、そのような人は出会ったことがありません。
段階的に学んでいけば、セーハ(バレー)にはひとつのコツも秘伝も必要ありません。
間違ったイメージが伝播していった恒例だと思っています(似たようなことを先日の藤井眞吾先生が公開レッスンでいったいたことを思い出します)。
コンサートの打ち上げなどで、独学でギターをやっている方から「セーハのコツはありませんか?」という質問がよくあります。このこと自体がいかにもっとも初歩的な奏法の理論が浸透していないか…ということの証明であると思っています。
ということで、まとめにもなんにもなっていないかもしれませんが、「教える」ってことは実に面白いです。
考えることが好きな人間、勉強を続けることが好きな人間、柔軟な考え方ができる人間、自分の理論を自分でしっかりと実践している人間…「教えること」によって、自分がきちんとした人間になろうと意識することができます。
「先生」という仕事が、昔から尊敬を集めていた理由が分かってきたような気がします。
ということで、「教える」こと…連載終わりです。
また、近い内容のことを書くとは思います。
2009年09月
「シルバーウィーク」特別連載企画です。
「教える」ことについて書いています。
前回までの簡単なまとめです。
1.理論は現場で多くのケーススタディーを経て、修正されてはじめて「正しい理論」に近づいていく。
2.私が教え始めた時点では私の理論は「自分だけに有効なもの」であったかもしれない。(なぜなら生徒を数人しか教えていないから)
…という感じで話を進めてきました。
「2.」に関して、まずは書きましょう。
2000年当時において私は奏法や音楽表現に関して、「私なりの理論」を築いていました。それは今まで習ってきた先生たちからの教えであるとか、音楽関連の著作や講習会などから得てきた知識をベースとしています。
そして、それらの知識や経験のなかから、自分に合うものを取捨選択していった結果がその時点でのテクニックであり、音楽観であったような気がします。
(気がする…というよりも、そうだった!のでしょうね)
一時期、私もああなんて浮気性なんだろうなあ…というくらい音楽観とかテクニックに関する理論が変化していた時期があります。
ああ、やっぱりバルエコ上手いなあ、とか。
なんだかんだセゴビアみたいな音じゃないと駄目なんじゃないか?、とか…。
でも、やっぱりカルレバーロ奏法が基本かなあ?とか…。
で、ちょこっと悩みました。
でも、当たり前のことですね。勉強すればするほど、知識は増えていきます。そのくらいクラシックギターは歴史は深く、巨匠も多いです。音楽全般で考えれば途方もないくらいの知識が広がっています。
でも、その「知識の大海」から自分で取捨選択するしかないのです。音楽家として。
そして、その時点での「音楽家&クラシックギタリスト・富川勝智」の知識を生徒さんに与えていくしかないのですね。そのことを2000年時点、つまり教え始めた時点では気づいていなかったのです。
このことに気づいたのはおそらく4年ほど前です。「なんでも良いものは良い」というところからスタートしたのかなあ?と思います。
おそらく私の生徒さんから見れば私は『現代的な奏法』の先生ということになるのかもしれませんが、いつの時代もセゴビアやリョベートなどの巨匠への音楽の魅力を忘れたことがありません。
『セゴビアなんて古い!』とかそういう意見を聞くと、むかむか〜っとするわけです。
逆に『ギターの王道はセゴビア奏法にあり!』みたいな意見にも「いや、それはないんじゃないか?」とも思いましたし。
じゃあ、なんでもかんでもOKなの?というとそうでもないんですよね。セゴビアのこの点は普遍性がある…そもそもセゴビアにとって音楽とは何?…とか想像して自分なりの「ベースメントとなる理論」を作っています。
これは奏法的にも音楽的にもです。幸いにして私はセゴビアの愛弟子であったホセ・ルイス・ゴンサレス先生に習うことができました。そして、彼からセゴビア奏法について多くを学ぶことができたと思います(もちろん全てではありませんよ)。
これはセゴビアに関してだけです(念のため)。私自身の研究対象は無茶苦茶広いです。カルレバーロ奏法だろうが、ロメロ・ファミリー奏法だろうか、バルエコ奏法だろうか、全てから学んできたと思います。
「研究対象」はギター奏法だけに限ったことではありません。音楽全般、身体機能について(たとえばアレクサンダーテクニックとか)…さまざまな分野から「ベースメントとなる理論」を抽出していけばいいのだ!という考えに今はなっています。
そして、それらの「ベースメントとなる理論」を生徒さんとのレッスンにおいて応用していきます。そして、実際に普遍性のある理論なのかを検証するわけです。それから「ベースメントとなる理論」を修正&改善していくわけですね。
その作業をひたすら繰り返します。結局、「理論」は完璧なものにはなりません。
これは当たり前のことですし、ちょっと偉そうですが、そのことは全てのギター教師の方に「前提」として把握してもらいたいところです。
「教える」ことにあたっては、そういう知識のストック、理論の形成、自分の実践(演奏家として)、そして伝授&検証、理論の修正+体系化…という作業を徹底的に行なうことが大切であるということです。
上記の作業を10人の生徒さんを対象に行なうか、100人の生徒さんを対象に行なうか?…どっちかというと100人のほうがいいのです。
そして知識のストックは一生続けなくてはいけません。よくプロギタリストでも留学中の知識のみで教授活動している人もいます。多くのギタリストとかかわりながら、知識はリフレッシュしていかなくてはいけません。
さて、もうちょっとだけ書きたいことがあるので、続きはまた次回!
「シルバーウィーク」特別連載企画です。
「教える」ことについて書いています。
理論は様々なケーススタディから抽出される。そして抽出された理論をまた現場で応用していって修正+改善。
様々なケース→理論化→その理論を現場で検証→修正&改善
ということを前回の記事で書きました。
そして、その理論は多くのケーススタディーを経て、現実に有効なものになるのです。私は理系ではありませんが、なんとなく理系の方にはこの考え方が理解してもらえそうな気がします。
さて、話はすぱーんとすっぽ抜けるようですが、クラシックギターは(もちろんそのほかの楽器もね)とても複雑な楽器です。そもそも複雑で不完全な楽器の割りには高度な音楽を演奏しなくてはいけません。そして、クラシックギターの特殊な点として、右手指でダイレクトに演奏します。持って生まれた爪の形状や手の構造や形をそのまま用いて演奏しなくてはいけません。
手は医学の分野でも「未知の領域」だそうです。ものすごい複雑な動きをするので、脳みそもフル稼働していることでしょう。
そのようなことを考えると、やはり自分の体については自分が一番よく理解しているに違いありません。逆に考えると、その裏に自分に支配されている体癖も無意識に存在するともいえます。最終的にはその体癖を生かした奏法を身につけなくてはいけないのかもしれません。
さて、脱線するといけないので…話をもどします。
上記のように生徒さんは各個人、なんらかの癖をもっています。それは肉体的にも精神的にもです。
その癖を活かしつつ、且つ日常の生活で身についている悪癖を毒ヌキしながらレッスンしていかねばなりません。この毒ヌキは肉体面、そして精神面、考え方にも及びます。
もちろん、上記のことはクラシックギターと音楽に関してのみです。しかし、音楽への取り組み方を見れば、その人の人生観も分かるといえます。その人がどういう気持ちで仕事に取り組んでいるのか…もなんとなくわかってきちゃうものです。
つまり、いろんな人がいるということです。そして、ギターの奏法や表現、そして普段の練習に仕方、各人の人生におけるギターの位置づけ…などをなんとか「正しい方向に導く」ことが教師の役目です。
その導き方は各人のペースや理解度、身体機能によってまったく異なってくるということです。これはケーススタディーを重ねることによってしか、理解できない部分であると思います。
今まで10人しか生徒を教えていない先生は10人分のケーススタディーしかこなしていないということになります。
もちろん、理論面がしっかりしている先生は10人に対して「間違ったこと」は教えないでしょう。しかし、自分とまったく違った体格の生徒さんや、癖をもった生徒さん、または精神面でまったく違う気質をもった生徒さんと対面したとき、『どのようにその理論をその生徒さんに伝えるか』ということを考えなくてはならないでしょう。
逆に1000人の生徒をレッスンしたことがある先生であっても、理論のベースメントがない先生は駄目です。生徒さん主導のまま終わってしまって、理論の確立ができないからです。
理論はやはり現場で多くのケーススタディーを経て、修正されてはじめて「正しい理論」に近づいていきます。
つまりベースメントとなる理論があるのが前提です。
そして、それを現場を数多く経験し、修正+改善をしてより完璧な理論へ近づけていくわけです。
上記の「ベースメントとなる理論」は教え始めたときは「自分だけに有効なもの」かもしれません。それを、全ての人にたいして有効な理論へとしていくわけです。
自分だけに有効なもの…これは私にとっては2000年当時の「私の知識+経験」だったのだと思います。
ギターを12歳でスタートし、日本で勉強し、そのご留学…スペインで勉強した…その時点での知識であり、結局は自分の身体とメンタルにのみ有効なテクニックであったということです。
もちろん、私が2000年の時点までで学んだことは「先人の遺産」でもあります。スペインの伝統的な奏法、カルレバーロに代表される現代的な奏法…いろいろと勉強しましたが、私の身体と精神に合うものを取捨選択しているはずです。そういう意味で「自分の身体とメンタルにのみ有効なテクニック」といえるわけです。
さて、ながくなってしまったので、続きは次回に!
「シルバーウィーク」です。特別連載企画です。のんびりと暇つぶしにお読み下さい(のんびり読めない内容かもしれませんが…)。
テーマは…突然ですが、「教える」ってことについて書きます。
まずはその前に「富川ギター教室」について。
留学から戻ってきて、幸いなことに私の演奏会に来てくれた人が「是非、習いたい!」といってくれました。彼はプロ志望の男性だったのですが、彼から私の教えるという仕事はスタートしました。それが2000年のことです。
演奏を中心に最初の2年くらいはなんとかやっていきました。そのほかは知り合いから頼まれて外部の音楽教室などで指導を行っていました。演奏は月に4回から5回、録音の仕事とかちょっとした伴奏のお仕事とか…まあ、たくさんやりました。ごちゃごちゃやっていてば露出は多くなるもので…「習いたい!」って人が個人的にやってきました。最初はプライベートなスタイルでやっていました。まあ、それだと生徒さんも安心できないかなあ…とおもって「教室」という名称をつけたわけです。
というわけで、わが教室の開設というのは非常にファジー。面倒くさいので一番最初の生徒さんが来た2000年を開設年としています。
おそらく現在まで、外部の教室なども含めて300人は最低でも生徒を個人指導してきたと思います。
最初の頃はとにかく私が留学時に身につけた知識と技術を一方的に与えるだけだったと思います。今、思い返してみると実に「断言的」なイメージですね。
でも、しょうがない。だって、若かったんだもの(言い訳?)。
そして、教える人数が少なければ少ないほど「一方通行的な教え方」になるのはしょうがないのかもしれません。
その当時は自分の知識と技術に「絶対的な自信」をもっていますし。それは確かに「正しい」ものなのですが、やはりどちらかというと自分の身体やメンタルな部分にしっかりと結びついたものでもあります。つまり「私にとっては」正しい…ということになります。
留学中に学んだアレクサンダーテクニックや、様々な先生からの教えを自分としては体系化したつもりではあったのですが、それが万人に通用するのかどうか?…そこの確信がもてないようになっていったのです。
そのように考えてから、生徒さんとのレッスンは「実験の場」と考えるようになりました。そして、「教えること」についての著作などもたくさん読みました。コーチング関連の本も勉強…。
多くの著作や、知り合いのプロギタリストのアドバイスからえられた結論は…理論は様々なケーススタディから抽出される…ということです。そして抽出された理論をまた現場で応用していって修正+改善していくということです。
様々なケース→理論化→その理論を現場で検証→修正&改善
上記の繰り返しを忘れてしまうと「その本人にとってのみ有効な理論」になってしまうということですね。
そして上記のループの大切さは、それを経験した人間にしか分からないのかもしれない…ということも分かってきました。
続きは、また次回!
9月25日は恒例となった3ヶ月ごとにやっている「19世紀ギターライブ」です。3回目、ソルやカルッリなどを演奏予定です。
オリジナルの19世紀ギターで。全部ソロでやります。
場所は押上の天真庵。
ちらしはこちら。定員15名ですが、現在予約で10名ほど。まだ予約していない方はお早めに電話で御予約ください。
ところで、昨日、天真庵さんのブログでも知ったのですが、看板犬の元気君が天に召されました。
元気君の記事
さきほど、天真庵の庵主である野村さんより電話があり、元気君が他界したことを伝えられました。『まだ、そのへんにいると思いますので…』と野村氏に言われました。
おそらく、天真庵で演奏した人も、お客さんも、彼が偉大なる看板犬であったことを忘れないでしょう。
天真庵の床で、もしくはお気に入りのお客さんの膝の上でまどろんでいる元気君のために、何か弾きたいと思っています。
話は変わって…。
昨日レッスンに来た生徒さんから、ちょっと変わったものを頂きました。
杉並区限定(?)のパンです。ナミーとなみすけです。
恐竜に似た妖精だそうで…。
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