さて、現代ギター誌にて「アルベニスの生涯」とのリンク企画として「レパートリー充実講座」も現在発売中の7月号より、連載しております。
 
最近、自分のことについてあまり書いていなかったので、今回はこのことについて、気づいたことを覚え書きしておきますね。
 
まあ、現代ギター編集部からの依頼があったからやったものの、これが思っていた以上に大変で、普段、口で言っていることを文章にまとめるとなるとなかなか難しいものでした。
実際に演奏して、例を示してフレーズの変化などを提示して実際のレッスンは行うものなので、文章だけで伝えるとなると大変なものです。
 
ここまでは、誰でも想像できることでしょうね。
さて、実際に第一回の原稿を書いてみると、思わぬ落とし穴がありました。それは「書きすぎる」ということです。約8000字程度書けばOKなのですが、書きたいことを全部書くと収まらない!
 
第一回「朱色の塔」の下書きなどは、思いっきり1万5000字ほどいってしまいました。これを約10000に削り、それでも多いということで、更に削られました。
逆にすっきりとまとめることが難しかったのです、私の場合。
 
ということで、意外に難しいのは、「簡潔に書くこと!」だったりしました。
もう少し言いたい事があったのですが、まあその辺りに興味のある方のために、いずれ私のホームページ本体のほうに「増補版」を掲載してもいいかな?と考えております。まだ7月号が出たばかりなので、もうしばらくしてからの話ですが。
 
このレパートリー充実講座で、改めてアルベニスの作品を研究してみると、面白いことを発見しました。今まで、自分があまりにも「アルベニス作品=スペイン音楽」という観点に囚われ過ぎていたということです。アルベニスの作品も、その他の作曲家の作品も解釈のアプローチの仕方は変わらないということに、今更ながら気づかされました。
 
異論はあるかもしれませんが、楽譜の中に全て情報が盛り込まれているので、そこから「アルベニスの音楽」をひきだしてあげれば、それで充分なのです。おそらく、スペイン物という観点に縛られすぎると、見失うものが大きいのがアルベニスやグラナドスの作品の恐ろしさです。
 
皆様、どう思われますか?
 
考えてみると、我が師匠、ホセ・ルイス・ゴンサレス氏も同様のアプローチをしていたと思います。そんなわけで、今更ながら、我が師匠の素晴らしさを再認識。
 
ということで、レパートリー充実講座は、あくまでも楽譜から情報を読み取るという方法でしかレクチャーしておりません。もちろん、「このほうがよりスペイン的」という解釈法もあるので、その点もこっそり盛り込みましたが(分かる人には分かる?)。
 
楽曲へのアプローチ法のひとつであると、思って読んでいただければ幸いです。まだまだアイデアはあったのですが、前述のとおり、字数の関係で削ってしまいました。興味のある方は、レッスンに「朱色の塔」を持ってきてくださいね。
 
また、このブログに質問など書き込んでくれても結構です。時間がある限り返答する心構えではいます。
 
(うーん、今日はちょっと、ギタリストっぽいことを書いたな〜)