最近、クラシックギターの運指(左手)について考えています。
いままでも左手運指について、いくつかブログ上で記事を書きました。
音階練習という観点から
http://guitar.livedoor.biz/archives/51548745.html
ヴィラ=ロボス作品と「運指」についての考察
http://guitar.livedoor.biz/archives/51761412.html
・・・という感じであれこれ運指について書いてきましたが・・・。
なかなか体系化するのは難しいですね。
はっきりいってしまうと、研究しかありません。
運指は決して弾きやすさだけで決まるわけではありません。音楽性が如実に反映されています。
エディションというものがあります。有名なものでセゴビア・エディション。そのほか、ブリームなどのエディションもありましたね。そのギタリストが運指や解釈などに関して責任をもって監修したもの・・・というものです。
手に入りやすいものとしては全音のギターエチュードシリーズといってものも、ある意味で監修にあたっているギタリストの「エディション」と言っていいと思います。
いずれにしても、各ギタリストの音楽的なアイデアが運指や表情記号などに込められています。それを読み解いていく作業が大切となっていくわけです。
最近、生徒がレッスンに魔笛の「セゴビア版」を持ってきました。短調のところがやたらハイポジションなのには、一瞬拒絶しそうになりましたが、楽譜を見ながら、弾いてみるとそれはそれで、とてもメローな感じで味わい深いものです。つまり、このあたりにセゴビアの音楽的な嗜好が感じ取れるわけです。
やはり2弦や3弦のハイポジションの「個性」を生かそうというセゴビアの「審美感」が感じ取れるわけですね。
そして、もっと突き詰めていくと、ギターという楽器そのものが運指にも関わってきます。最近は、ハイポジションだろうが、1弦だろうが2弦だろうが「同じ音質」の音色しかでない楽器が増えています。
つまり、1弦5フレットのラを弾いても、2弦の10フレットのラを弾いても、似た感じの音しかでない・・・という楽器も増えています。
セゴビアがハイポジションで運指をとったとしても、その意義を感じ取れない楽器の性質であれば、その運指には意味はありません。
そのあたりは奏者の好みではあると思いますが、はっきりいってしまうと、立体感のない演奏になってしまいます。(最近、そういう演奏をする10代〜20代の若い世代のギタリストが増えているようで、ちょっと危惧しています。)
もちろん、楽器の特性だけでなく、奏者がタッチのバラエティを獲得していない場合(そもそも必要を感じていない人も多いのですが・・・)にも、セゴビアの運指やブリームの運指は意味を感じないで終わってしまうことも多いです。
なんだか「セゴビア運指」賛美みたいな文章になってしまいましたが、しかるべき楽器、しかるべきタッチでないと巨匠の運指の「意義」は理解できないのかもしれません。
その意義さえわかれば、巨匠が求めていた音が分かります。アンドレス・セゴビアの演奏には、賛否両論あります。でも、なんだかんだいっても、アンドレス・セゴビアほどに世界中の人々に感動を与えたギタリストはいないのではないでしょうか?
・・・だから、とりあえずはクラシックギターの「美」のひとつの切り口を理解する上で、セゴビアの運指を学ぶことは必須であると思っています。
最近はそのような巨匠たちの運指の意味を理解できない状況にあると思います。まずは「良い楽器」が少ない・・・そしてタッチのバリエーションを理解していない学習者が多い・・・。
つまり、インフラが整っていないのです。
そのような状況のなかで、20代くらいの若手ギタリストに、セゴビアやブリーム、アリリオ・ディアスなどが求めていた「本当のクラシックギターの音」を理解させるのは非常に難しいのが現状です。
そういう意味で、巨匠たちの運指の「意味」や「意義」を理解させるのはなかなか難しいのです。
・・・という感じで、まとまりませんでした。
左手の運指について、また書きます。
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しかし、1弦と2弦のラが同じ音に聞こえるような楽器というのは、安い楽器を指しているのでしょうか。