さて、思い出してみると、このブログですが、2004年からスタートしています。なので、9年やっていることになりますね。
このブログを書いていて、学んだことはたくさんあります。
とりあえずは、悪い事よりも良い事のほうが多かったかな?…と。
正直に伝えたいと思っていることを発信してきました。「私の考え」をある程度は理解してから私のレッスンへ通ってくれる方が多いです。事前にブログをある程度読んでいただければ、スムーズにレッスンをスタートしていける利点もあります。またレッスンを通じて「あ、これはもうちょっとまとめて文章にして伝えた方が分かりやすいんじゃないかな?」と思い、ブログに文章をまとめる場合もあります。レッスンの事後フォロー的な内容になっていることも多いのです。
いずれにしてもクラシックギターを学ぶ人に共通の話題をテーマにしていることにはかわりありません。自分の演奏活動などについても、できるだけ「どのように考えたか」を入れて文章化するようにしています。演奏する人の思考を共有できれば、それはそれで学ぶ人にも役に立つだろうと思ったからです。
自分の考えを文章にまとめる…最初はたいへんな作業でした。「今日はあれを食べました!あそこに行きました!…楽しかったです!」…こういうブログにはしたくなかったからです。
音楽を言葉で表現するということもたいへん困難なことですし、思考のプロセスを文章にするというのも手間がかかります。
雑誌などに奏法についての解説を書く時もいつも悩みます。どのくらいのことまで書けるだろうか?…と。どのくらいのことまで書いて良いのだろうか?…という風にも考えます。いつも、このあたりは注意しています。どういうレベルの読者が読むのだろうか?…いつも想像しなから文章を書いています。
こういうことを考えると、思い出すブログ記事があります。
これです。
「ラグリマ」の解説について
ホームページに発表した「ラグリマ」の解説について、とあるブログで「こんな面倒くさいことを考えて弾かなければならないならば、ギターは面倒だなあ」という主旨のことを書かれたので、それについて反論した記事です。
2005年の文章ですね。若い(苦笑)。固いなあ、文体が。そういう意味でも懐かしいのですね。このときはまだ「文章で伝える事のリスク」が分かっていなかったんでしょうね。だから、必死で反論している。
結局、文章で「どこまで書くか」「どこまで掘り下げるか」というのは書き手の判断です。深く掘り下げるのがプロの仕事なので、当時の僕は必死で掘り下げたのでしょうね。
レッスンをしていても、結局は生徒さん本人の知識と経験のレベルでしか理解してくれません。その人の知識と経験をしっかりと見極めて、そこからちょっと上のレベルにいけるように導くのがレッスンです。これは文章と一緒ですね。
どこまで伝えるか、どこまで教えたらいいのか?…この観点でレッスンをしていかいないと、生徒さんのキャパシティを越えてしまいます。先日アップしたブログ記事の「教え惜しみ」ではないですが、しっかりとその生徒さんの実力を判断し、ひとつ上のレベルに導いてあげなくてはいけません。
そんなこともブログから、そして考えを文章にすることから学びました。
書いていくこと、そして、それを継続することで思わぬ「学び」を得ることができますね。とりあえず、このブログ、10年続けてみます。なんでも10年続けると学ぶことは大きいはずです。
このブログを書いていて、学んだことはたくさんあります。
とりあえずは、悪い事よりも良い事のほうが多かったかな?…と。
正直に伝えたいと思っていることを発信してきました。「私の考え」をある程度は理解してから私のレッスンへ通ってくれる方が多いです。事前にブログをある程度読んでいただければ、スムーズにレッスンをスタートしていける利点もあります。またレッスンを通じて「あ、これはもうちょっとまとめて文章にして伝えた方が分かりやすいんじゃないかな?」と思い、ブログに文章をまとめる場合もあります。レッスンの事後フォロー的な内容になっていることも多いのです。
いずれにしてもクラシックギターを学ぶ人に共通の話題をテーマにしていることにはかわりありません。自分の演奏活動などについても、できるだけ「どのように考えたか」を入れて文章化するようにしています。演奏する人の思考を共有できれば、それはそれで学ぶ人にも役に立つだろうと思ったからです。
自分の考えを文章にまとめる…最初はたいへんな作業でした。「今日はあれを食べました!あそこに行きました!…楽しかったです!」…こういうブログにはしたくなかったからです。
音楽を言葉で表現するということもたいへん困難なことですし、思考のプロセスを文章にするというのも手間がかかります。
雑誌などに奏法についての解説を書く時もいつも悩みます。どのくらいのことまで書けるだろうか?…と。どのくらいのことまで書いて良いのだろうか?…という風にも考えます。いつも、このあたりは注意しています。どういうレベルの読者が読むのだろうか?…いつも想像しなから文章を書いています。
こういうことを考えると、思い出すブログ記事があります。
これです。
「ラグリマ」の解説について
ホームページに発表した「ラグリマ」の解説について、とあるブログで「こんな面倒くさいことを考えて弾かなければならないならば、ギターは面倒だなあ」という主旨のことを書かれたので、それについて反論した記事です。
2005年の文章ですね。若い(苦笑)。固いなあ、文体が。そういう意味でも懐かしいのですね。このときはまだ「文章で伝える事のリスク」が分かっていなかったんでしょうね。だから、必死で反論している。
結局、文章で「どこまで書くか」「どこまで掘り下げるか」というのは書き手の判断です。深く掘り下げるのがプロの仕事なので、当時の僕は必死で掘り下げたのでしょうね。
レッスンをしていても、結局は生徒さん本人の知識と経験のレベルでしか理解してくれません。その人の知識と経験をしっかりと見極めて、そこからちょっと上のレベルにいけるように導くのがレッスンです。これは文章と一緒ですね。
どこまで伝えるか、どこまで教えたらいいのか?…この観点でレッスンをしていかいないと、生徒さんのキャパシティを越えてしまいます。先日アップしたブログ記事の「教え惜しみ」ではないですが、しっかりとその生徒さんの実力を判断し、ひとつ上のレベルに導いてあげなくてはいけません。
そんなこともブログから、そして考えを文章にすることから学びました。
書いていくこと、そして、それを継続することで思わぬ「学び」を得ることができますね。とりあえず、このブログ、10年続けてみます。なんでも10年続けると学ぶことは大きいはずです。