製作家、尾野薫さんにはとても世話になりました。2024年7月に他界。ほぼ一年後に「名器 尾野薫を聴く」と言うコンサートが開かれることになりました。出演者は僕、池田慎司さん、尾野桂子さん、栗田和樹くん。
(それぞれの尾野薫さんとの関わりは以下のサイトを見てください。)
と言うわけで、6/20にこのコンサートが開かれました。僕の印象を簡単にまとめるならば、「楽器と奏者って半分半分だなあ」と。簡単に言えば、楽器を作ってもらうときに「こんな音にしてほしい」というのが注文主にはあります。そして、製作家にも「理想のギターの音」がある。そのせめぎ合いの中で楽器は生まれてきて、そして成長していきます。所有者に鳴らしてもらいことで、その楽器は変化していきます。
でも、基本的には楽器と奏者は対等。それは50:50という意味ではなく、「楽器+奏者=音楽」という図式で考えなければいけないのかもしれません。
楽器には個性があるのです。音響上の特性や、弾きやすさ、鳴らしやすさ、基本的な倍音のバランス…たくさんのポイントがありますが、「個性」がある。それは絶対に消せないものです。
その個性と奏者の個性ががつん!といい感じにはまれば、「(奏者の思う)音楽ができる」愛器となるわけで。
その出会いを求めて、どの奏者も自分に合う楽器を探し続けるわけです。同時に、自分の音も磨き続けなければならないし、どこかで「美観」が変化する場合もある。今まで愛器と思っていたものが、急に他人に思える場合もある(こえー!)。
そんなことをふと考えてしまうコンサートでした。
各出演者には皆個性があります。ああ、だからその楽器を使っているのね!と言う必然を感じました。そしてその個性を受け止めようとしているのが楽器なのです。受け止めようとしながらも、楽器の個性もあります。それはときにとても”強い”。場合によっては奏者より強い場合もある。
その意味で、僕は以下のようなプログラムを組みました。このコンサートへの出演を打診されてから数ヶ月、尾野薫さんの楽器と対峙しながら練ったものです。
(それぞれの尾野薫さんとの関わりは以下のサイトを見てください。)
と言うわけで、6/20にこのコンサートが開かれました。僕の印象を簡単にまとめるならば、「楽器と奏者って半分半分だなあ」と。簡単に言えば、楽器を作ってもらうときに「こんな音にしてほしい」というのが注文主にはあります。そして、製作家にも「理想のギターの音」がある。そのせめぎ合いの中で楽器は生まれてきて、そして成長していきます。所有者に鳴らしてもらいことで、その楽器は変化していきます。
でも、基本的には楽器と奏者は対等。それは50:50という意味ではなく、「楽器+奏者=音楽」という図式で考えなければいけないのかもしれません。
楽器には個性があるのです。音響上の特性や、弾きやすさ、鳴らしやすさ、基本的な倍音のバランス…たくさんのポイントがありますが、「個性」がある。それは絶対に消せないものです。
その個性と奏者の個性ががつん!といい感じにはまれば、「(奏者の思う)音楽ができる」愛器となるわけで。
その出会いを求めて、どの奏者も自分に合う楽器を探し続けるわけです。同時に、自分の音も磨き続けなければならないし、どこかで「美観」が変化する場合もある。今まで愛器と思っていたものが、急に他人に思える場合もある(こえー!)。
そんなことをふと考えてしまうコンサートでした。
各出演者には皆個性があります。ああ、だからその楽器を使っているのね!と言う必然を感じました。そしてその個性を受け止めようとしているのが楽器なのです。受け止めようとしながらも、楽器の個性もあります。それはときにとても”強い”。場合によっては奏者より強い場合もある。
その意味で、僕は以下のようなプログラムを組みました。このコンサートへの出演を打診されてから数ヶ月、尾野薫さんの楽器と対峙しながら練ったものです。
ロマンサ(シューマン)
サウダージ(ニャタリ)
泥亀(E.S.デ・ラ・マーサ)
ロートレック讃歌(E.S.デ・ラ・マーサ)
遥けさ(M.L.アニード)
この楽器なら、こんな曲をやってみたらどうかなー?とか、こういう書法のものがはまるんではないだろうか?とか、この流れに意味が感じられると良いなーとか。複数の観点を含んでいるプログラムです。
結論:とっても自分と楽器との関係がわかった
そんな感じで個人的には「楽器と奏者の関係って一体なんなんだろう?」と言う疑問が芽生えたコンサートでした。

尾野薫さんから何だか宿題を与えられたような。そんな気持ちになっております。その意味でも尾野薫さん、ありがとう。生きている時も、たくさんのアドバイスやヒントを頂きましたが、それは死後も続いているような。そんな気持ちになりました。

メンバー内では、「三回忌」にまた同じ楽器でやるのも面白いね!と言うことになっております。実現したら、また楽器と奏者の関係に新しい観点が生まれるかもしれません。そして、なんとなくそれを期待している自分がいます。
この楽器なら、こんな曲をやってみたらどうかなー?とか、こういう書法のものがはまるんではないだろうか?とか、この流れに意味が感じられると良いなーとか。複数の観点を含んでいるプログラムです。
結論:とっても自分と楽器との関係がわかった
そんな感じで個人的には「楽器と奏者の関係って一体なんなんだろう?」と言う疑問が芽生えたコンサートでした。

尾野薫さんから何だか宿題を与えられたような。そんな気持ちになっております。その意味でも尾野薫さん、ありがとう。生きている時も、たくさんのアドバイスやヒントを頂きましたが、それは死後も続いているような。そんな気持ちになりました。

メンバー内では、「三回忌」にまた同じ楽器でやるのも面白いね!と言うことになっております。実現したら、また楽器と奏者の関係に新しい観点が生まれるかもしれません。そして、なんとなくそれを期待している自分がいます。