レッスンで、「耳コピ」という言葉を久々に使いました。
楽譜などを使わず、CDなどの音源から音を拾ってくることをいいます。
通常、クラシックギターは楽譜から音楽を作っていきますので、耳コピはあまり関係ありません。
ある生徒さん、池田慎司君のCD「ブラジル!」に収録されている「オッサーニャの歌」を弾きたいらしく、GSP社から出ている楽譜(コピー譜?)を購入したのだけど、録音と違う部分があり、弾けないという。
私が「耳コピしたら?」といったら、やったことがない・・・という返事。
そんな流れで、そういえば、中学、高校のころはよく「耳コピ」したな〜と思い出しました。「耳コピ」という言葉自体使うのが久しぶりな感じで。
私は、中学〜大学まで、エレキギターとクラシックギターをチャンポンでやってました(いまは、意外に硬派なクラシックギター弾きになってしまいましたが・・・)。
結構マニアな曲をやっていましたので、バンドスコアなどがなく、やはり頼りは「耳コピ」。お小遣いも少なかったので、音源を入手するのが精一杯。
それこそ、初期ホワイトスネークとかオジーオズボーンとかをコピーしてました。ツェッペリンの「アキレス最後の戦い」とかも耳コピでやったっけ・・・などの若い頃の思い出が蘇ってきました。
実は、この当時の「耳コピ」修行が、結構現在の仕事にも役立っていることが多いのかもしれません。
音源からギター編曲をする際や、実演と出版譜とが違う部分をチェックする際に抵抗をあまり感じないのは、耳コピ修行のせいかもしれません。
昔は、エレキギターのソロなどを耳コピする際は、基本は「口に出して歌う」・・・という方法で採譜してました。正しい音程でとらないと、なかなか難しいので、繰り返し聴いて音をとりました。このことも音感に若干良い影響を与えたかもしれません。
・・・といろいろ考えていくと、意外に耳コピも今のクラシックギタリスト稼業の役にたっているのかも?と思うようになりました。
人生、「回り道」はないのかもしれませんね。