技術とはなんでしょうか?

ギターが巧みに弾けること?…間違わずに弾けること?…いろいろ定義できるでしょうね。

最近、この文章を読んで、いろいろとヒントをもらいました。

技術とは、なぜ、磨かれなければならないのか?

技術は磨かれれば磨かれるほど「透明になっていく」。…なるほど!

ギターでも難しそうなところを難しそうに弾く…のは簡単ですね。

もしその場所を「ここは難しいんですよ!」というふうに聴き手に伝えたいのであれば、それでもいいのでしょう(実際、20世紀初頭のヴァーチュオーソ派の人はわざと複雑な運指を使ったりしていたようです)。ですが、音楽そのもののイメージを伝えたい場合、例えば「早足で駆け抜けるように」というイメージを伝えたい場合には、難しそうに弾く印象をもたれないほうがいいのです。正確に間違わずにスムーズに弾くべきでしょう。聴き手のほうには音楽だけが伝わるように演奏すべきなのです。

この山口さんの文章の中にルーベンスの「うまさ」について触れられています。うますぎて、自然に絵全体をみてしまい、その技術の卓越した感じが目に入らないということですね。これが、本当の技術です。

この話を読んで、ベラスケスの絵が思い浮かびました。

ベラスケスについて(wikipedia)

この説明の中に以下のようにあります。以下wikipediaから引用します。

ベラスケスの作品では、画面に近づいて見ると、素早い筆の運びで荒々しく描かれたタッチにしか見えないものが、少し離れたところから眺めると、写実的な衣服のひだに見える。このような、近代の
印象派にも通じる油彩画の卓越した技法が、マネらの近代の画家がベラスケスを高く評価したゆえんである。

プラド美術館にある絵は何度みても、「リアルに」見えます。近くにみると実は一筆書きのようにざっくりとしたタッチで筆を入れている部分があります。それが遠くからみると、スカートにリアルなひだに見えたり…そこが凄いのです。

この技術は試行錯誤の中で編み出したものなのでしょう。偶然ではなく、試行と実践のなかで得たものだと思います。

美術館でその「技術」を見る人はいません。もちろん、上記のような知識を得れば、そこを意図して見ることもあるかもしれません。ですが、知識としてこういうのがなければ、「そこに人がいるみたい!」という感想しか抱かないでしょう。

プロの技術というものは、そういうものなのです。

そして、プロの技術というのは細かく分類することができます。画家であれば、構図についての技術、デッサン技術、絵の具の調合の技術…たくさんの要素があります。その要素をひとつずつクリアしていくことで、新たな技術が生まれてきます。

つまり、ベラスケスの「一筆書きタッチ」からスタートしてもしょうがないわけですね。

クラシックギターでも、技術をひとつひとつ細分化していかなければなりません。

例えば、低音の消音。これが本当に「自然に」できている人は少ないです。もしできたとしても、pのタッチが荒れている場合は意味がありません。逆に低音の音色がしっかりとしても、消音のアクションがぎこちなくしかできないのでは意味がありません。

このように技術的な要素をひとつひとつ検証し、クリアしていくしかないのです。そして楽譜をみて、低音の音価やリズムを明確にイメージした瞬間に「考えなくても」自然に消音アクションができること…これが「透明な技術」というわけです。

そして、ひとつの技術が「透明な技術」になれば、次の欲求が生まれてきます。

そのようにしてベラスケスの技術は生まれているのだなあ、と考えます。

だから、レッスンをしていても、自分の練習をしていても、細部にこだわる場合が多いです。そして、生徒さんの成長度を見るときに、ある技術が「透明に(=自然に)」できれているかを目安としています。

細分化した要素は「基礎」と呼ばれるものです。だから、「基礎」って大切だなあ、と思って、いつもレッスンしています。



 


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