3/20は春分の日。この日もやはり雨でした(ご来場のみなさま、ごめんなさい)
自分がいわゆる「雨男」なので、これはもう平常運転なのですが、この日の音楽にはよく合っていた気がします。
ギターデュオ「ラス・マノス」。久々の演奏会!
そして、久しぶりの本郷三丁目、そしてカデンツァコンサートサロン(旧名曲喫茶カデンツァ)
同じ場所、ほぼ同じ内装(確実に名曲喫茶だった頃の方が音抜けは良かったですが)、自然と気持ちが整っていく感覚があります。
たくさんのお客様が来てくださっていて、ほぼ満席に。あの空気の中で音を出せたこと、まずは本当にありがたかったです。
この日のプログラムは、時代も様式もばらばらに見えるかもしれませんが、自分たちの中では一本の軸がありました。それは「音がどう空間になっていくか」ということ。
同じ1997年製のアルカンヘル・フェルナンデス2本。その響きをどう立ち上げるか、そこを通して全体を組み立てていました。
前半のフェレールでは、和声の重なりそのものが音楽になる感覚を大切にしました。音数が多くなくても、重音の中に密度が生まれていく。その設計の美しさが自然に立ち上がればと思いながら弾いていました。
セナモンでは一転して、音の流れがそのまま風景になるように。技巧を見せるというより、空気の質感を変えていくような方向。
ベートーヴェン(カルッリ編)では、交響的な音楽を2本のギターでどう成立させるか。拍の感覚とフレーズの呼吸、その両方を保ちながら進んでいく感覚がとても面白いところでした。そして、当時の音楽愛好家たちがギターを通して楽しんでいた「ヒットソング」なのですから、まさにこのサロンにピッタリ。
後半に入ると、音が少しずつほどけて、より自由になっていったように思います。
日本のメロディーでは、旋律そのものの強さを信じることを大前提にしながら、そこに湯川さんならではの“昭和テイスト”が自然と立ち上がってきました。どこか懐かしく、飾らないニュアンス。いわゆる郷愁という言葉だけでは収まりきらない、生活の匂いのようなものが音に乗ってくる。その感じが、この日の空気ともよく馴染んでいた気がします。
「月光」の対旋律では、同じ素材が時代ごとにどう変わっていくかを体感するような構成。それぞれの編曲の考え方の違いが、そのまま音として立ち上がるのが面白いところです。
カウフマンは、体力的にもなかなか厳しい曲ですが、和音が平行に動いていくことで生まれる独特の浮遊感をどう保つかがポイントでした。そして、そこにカウフマンの出自が「民族性」として立ち現れてくる。そこかギターの機能性というある種の野蛮さと絡み合いながらも、この作曲家の濃厚なロマンティシズムと結合。
そしてタラゴー。タレガの断片が現れては組み替えられていく中で、音楽そのものが記憶のように立ち上がってくる感覚があり、日本ではほぼ評価されていない”大作曲家”であり”名教授”であったタラゴーの才知を再確認。
アンコールは「北の国から」。
この曲に戻ってくると、やはり自分たちの原点のひとつに触れる感覚があります。この日は、会場の空気と音が自然に混ざり合っていくのを強く感じました。
あらためて思うのは、音はやはり“空間”になるということ(コンサートタイトル通り)。
楽器、会場、そしてお客様。そのすべてが揃ったときに初めて生まれるものがある。その時間を共有できたことが、何より嬉しかったです。
ご来場くださった皆様、本当にありがとうございました。
Program
<1部>
J.フェレール/テルプシコーレ&独創的ワルツ
J.セナモン/12のファンタジアより
L.V.ベートーヴェン(F.カルッリ編)/アンダンテと変奏、ロンド
<2部>
5つの日本のメロディー
(さくらさくら/宵待草/浜辺の唄/雪の降る街を/春の海)
3つの「月光」対旋律
(D.フォルテア〜R.S.デ・ラ・マーサ〜鈴木大介)
A.カウフマン/2台のギターのための組曲
G.タラゴー/タレガの思い出
<Encore>
さだまさし(湯川賀正編曲)/「北の国から」メドレー







