生徒さんのダイナミクスへのイメージです。ダイナミクス…一般的には音の大小ですね。僕自身も小学生や中学生の頃に「フォルテは強く、ピアノは弱く」と習った記憶があります。一般的にはこういう感じ(Wikipediaより)で習います。
これはもちろん間違いではありません。とはいっても、これらをデジタル的な目盛りのような感覚で演奏するだけでは、音楽のストーリーを作れるわけではありません。
作曲者がつけているfやp…一般には強弱記号とか呼ばれたりしますが、それにはもっといろいろなニュアンスが含まれているのです。フォルテにはフォルテの「イメージ」があり、ピアノにはピアノの「イメージ」があります。同様にクレッシェンドやデクレッシェンドは「音量をだんだん大きく/小さく」という定義以上のイメージがあるのです。
留学中に習ったほとんど先生がダイナミクスのイメージを音量の大小でいうことは稀でした。フォルテには「温度の熱さ」とか…ピアニッシモには「芯の強さとはかなさ」とか…楽曲の文脈によって同じフォルテという記号がついていても、
いろいろにイメージは変化しましたが、ほとんどの先生は「音の強弱」を越えたイメージを求めていました。
留学から帰って来て、こんな本に出会いました。
ピアニスト、ヴィタリー・マルグリス著の「バガテル 作品7」です。
この134ページにこんな文章があります。引用します。
だんだん「大きく/静かに」だけが、「クレッシェンド/ディミヌエンド」の意味することではない。多声構造において、だんだん「厚くする/薄くする」こと、だんだん「明るくする/暗くする」ことも「クレッシェンド/ディミヌエンド」の一種である。
…音量の強弱が明るさや暗さにも喩えられています。この発想はツェルニー著「ピアノ演奏の基礎」にも同様のものがあります。フォルテやピアノの「特定の性格」を定義しているページがあります(12ページ)。
簡単にまとめると以下のようになります。
pp:秘密めいて神秘的な性格。
p:愛らしさ、優しさ、穏やかな平静、静かな憂鬱
mezza voce:穏やかに語る会話の調子
f:独立心に溢れた決然とした力の表現であるが、情熱を誇張してはならず節度を保つこと。
ff:歓呼にまで高まった喜び、苦悶にまで高まった痛み
もっと丁寧に原書では説明しています。詳しくは原著を読んでください。ダイナミクスの表現に悩んでいる生徒さんやイメージ作りに悩んでいる生徒さんには、レッスン中にこのページを読み上げることが多いです。ほとんどの生徒さんは「強弱記号ってこういうことだったの?」と思ってくれます。そして楽曲のストーリー作りを楽しんでくれます。
この著者はベートーヴェンの弟子です。なので、古典の表現などについて多くの示唆を与えてくれます。
そして、この時代からダイナミクスは「イメージの表現」であるということが理解することができます。デジタルは音量表現が先にあるのではなく、先に感情が伴ったイメージがあり、その結果としてフォルテは音量が大きくなり、ピアノは音量が小さくなる(ことのほうが多い)ということなのです。
私の自分自身の経験からも、同じことが言えます。ヨーロッパで演奏したり、海外のギタリストの通訳をしたり、音楽談義をしたりすると、やはりダイナミクスは音量の大小だけはないな〜と痛感します。
マリア・エステル・グスマン氏のマスタークラスの通訳をしたときのこと。クレッシェンドを「だんだん開いて行って〜」と言ったり、フォルテを「もっと開いて!」と言ったりします。つまり「abierto」という単語を使うわけです。直訳すれば「開いている」。英語のopenedです。文脈によっては「開放的に!」とか「明るく!」という感じで訳しわけたりします。
同様のことはフランシスコ・クエンカ氏のマスタークラス通訳をしたときも感じました。
フォルテは「明るく」そして「開放的」でもあるのです!これはもちろんスペイン語の語感による部分も大きいとは思いますが、少なくとも音量の大小だけの問題ではないことが分かります。
クレッシェンドが「開放へ向かう」のであり、デクレッシェンドが逆に「閉じて行く」のであれば、音楽のイメージ作りが随分変化してきます。また「光に向かって行く感じ/暗闇に引きずり込まれて行く感じ」…「外交的な感じ/内向的な感じ」というふうにイメージを作って行くこともできます。楽曲を解釈していく際のストーリー作りがしやすくなるわけです。
強弱記号のイメージ…これをいろいろと持つように心がけてください。デジタル的に捉えるのではなく、最初にイメージがあるのですから。
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