音楽の二重人格というものについて考えます。いったいなんだそれは?…と思われる方のほうが多いでしょうね。
最近、生徒さんとのレッスンでポンセのプレリュードを持ってくる方が多いのですが、それをレッスンしていて、そういう感覚を教えることが多いので、思いついた言葉です。
音楽表現とは認知心理学的に言うと「期待と裏切り」の総体とも捉えられます。たとえば、拍。拍感と拍節感というものがありますが、とりあえず拍だけですね。ボールのバウンド感にも例えられることが多いですが、常に弾み続けるボールを思い描いてください。バスケットボールなどを床に一定の力でバウンドさせていくイメージでもよいでしょうね。一定の力で僕を弾ませれば、一定の周期でぽーんぽーんと弾み続けます。これが数回繰り返されれば、それは「期待」となります。しかし、「あ、このタイミングで床からボールが戻ってくるな」と思っていたのに、それよりも早いタイミングでボールが急に戻ってきたら、それは「裏切り」です。
拍のタイミングで緊張感や弛緩の感覚を表現するということが音楽の表現上のひとつの要素であり、その要素はとても大切です。
ポンセのプレリュードの話の戻しますと、例えば一番にはフォルテとピアノの対比が多く登場します。フォルテとピアノは「音量の違い」だけではありません。フォルテは「がっちり」とした感じ、ピアノは「やさしさ」…そう考えれば、このポンセのプレリュード(セゴビア版)はフォルテはタイトに弾き、ピアノはちょっと歌心を込めてレガートな表現を心がけることは自明です。それはセゴビアのつけた運指からもわかります。
…さて、そこまで読み取ることは(もし、セゴビア版を使用するならば)当然誰でも学ぶべきポイントですし、是非楽譜から読み取ってほしいポイントです。
しかし、このフォルテの音が出るタイミングを拍の観点から「裏切り」の部分として演奏できると更にこのフォルテの「緊張感」は増します。つまり、その前の時点である程度の「拍の周期性」を獲得しておくことが大切です。この拍の周期性についてはエネルギーが増大していく感じ、もしくはその逆のエネルギーが減衰していく感じでは「あるパターン」を作っていくという意味で「期待」が働きます。先のボールの例を考え見れば、だんだんにバウンド感が減っていく場合は、最後にはバウンド感はゼロになるだろうなあ、と誰もが予測します。逆に、どんどんバウンド感が強くなる場合は、バスケットボールならば、手がボールに与える力は強くなるでしょうし、床に叩きつきる力も強くなっていきます。そして、ボールのもどってくるタイミングは早くなってくるでしょう。これもまた「期待」できる要素なのです。「予測」と言ってもいいかもしれませんね。
上記のように一定のテンポで弾いていく場合も、テンポが詰まっていく場合もテンポが緩まってくる場合も「期待」があります。「あ、次の拍の点はここに落ちてくるな!」という「期待(予測)」です。しかし、それが「裏切られた場合」、聴き手の驚きを招きます。失望ですね。これはいずれにしても「緊張感」を導きます。
そして、その感覚をうまく音楽表現に取り込んでいく事が表現を考える上でとても大切なのです。その要素は(私自身には)ポンセのプレリュード集全曲(セゴビア版)に感じられるのです。そして、セゴビアのある意味ロマン派的なフィンガリングをうまく処理するためにはこの音楽表現のある意味普遍的な感覚はとても重要だと思えるのです。
そして、この期待と裏切りの感覚を奏者は(独奏楽器なので)ひとりで作り出さなければなりません。この感覚を習得するためにはどうするか?…これは役割を分担するしかありません。生徒さんが周期を作っていくところを弾き、私がその周期に対して「どう裏切るか?」を実際に演奏してみるしかないのです。またはその逆をやります。そうすると、生徒さんのほうはどうしても、事前に作っておいた「期待される周期」にとらわれてします。拍の落ちる点を裏切って「きりこむこと」ができないのですね。
なので、二重人格(的な感覚)が必要なのです。そして、その期待と裏切りを奏者は自分自身で「楽しまなければいけません」。この感覚を習得するためには「デュオ」や「トリオ」などを多数経験するのも良い方法です。このために先日の日曜ワークショップではデュオをテーマにワークショップを行ったのですが。。。(出席者少なく、残念!)
富川勝智
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